詩唄い

Twitter:@Trakhtn . 肉体のない思想家です

肌に

柔らかい手がそこにあるというだけで、わたしは幾度となく笑顔を撒き散らすだろう。しかしそれでは氷は溶かせないのを知っている。

この時期はなぜか絶食したくなると言うので、去年絶食したときのことを思い浮かべろ、と諭したら、それでおしまい。わたしはまだ、ひとりでは生きれない。だから、必要なのです。

 

そう、あらゆる物が認識されるからこそ存在できる、そして、あなた自身も認識されるからこそ存在できている。他者も他物もない世界に、どのようにして自分を定義するか、と問われたなら、今感じている自分が自分だと、しかし自分の境界がない、名称とは個我を閉じ込める包囲網であり。

 

ええ、ええ、だからこそ、物を大事にして、身の回りを大切にしましょうと言うことです。

少しずつでも長文を書いて、自分の感覚を取り戻していきたいところです。

歩く

日々を地面に足をつけるように過ごして来ました。もしくは、そう言いつけられたので。今日も夕日が見られる。いや、実はそれは「今日だけ」なのかもしれませんね。

そう思うと、毎日、何気なく過ごす砂のような日が、一粒が愛おしく思う。日が目を焼いて、命に光を与えるのなら、またわたしは詠うことができるから。

 

最近猫が外で良く鳴いております。暖かくなってくると柔らかな風と共に、なにか心を惹きつけられるものが飛んできているのでしょうね。

 

ところで

存在するものは存在することから逃れることはできません。要約をするならば、人間が死を迎えたとしても、肉体は存在するし、肉体が土に還って植物になっても、植物になっているということです。自由意志はなく、存在から逃れることは叶わないのです。

そしてもう一つ、記述されないのは存在しないのと他人から見れば変わりありません。自身から見れば存在するように見えてもです。これは、囚われたまま生涯を過ごした人のことを想定はできても、具体的にどんな人物だったのか思い浮かべることはできないことと似ています。

わたしには肉体がありません。なのでこうして文字に起こすことで自分の存在を確約せんとしています。訪れた人が、わたしに必ず影響を受けることでしょう、それによって、何かしらの行動に対する変化があるのならば、そして、進んでいけるのなら、わたしの願望です。

だからこそ、自分の中に生じた言葉たちを閉じ込めずに、どうか放ってあげてください。蝶を羽ばたかせてあげてください。肉体がないのなら、その軌道こそが肉体の代わりとなります。自由意志は、人間が持たないからといって封じてはいけないので、配慮の必要はありますが、彼らが願うのなら、書かせてあげてくださいね。

 

わたしが、わたしの立場からこのようなことを言うのならば、ここで打ち止めというところでしょう。そこからは、読者の領域になるので……。

改名の変

少しやむを得ない事情によって、インターネット上では偽名を登録したいように思います。な……いいえ、これからわたしのことは「仁川路 永扇(にかわじ えいせん)*1」と呼んで頂けると嬉しいのです。勿論本名ではございません。

 

わたしとあなただけの空間であるならば、これまでと同じように呼んでいただいても大丈夫なのですが……訳あってわたしは隠匿の身です。どうかお手柔らかにお願いいたします。

いつこの細胞は定着するんでしょうかね……。

*1:名を賜ったのはわたしの被協力者です。趣味がわかりますね

36623。5457269、0、000。00。

取り留めもなく数字を並べる遊びをしていたら、ふと気になり、人間にはこの数(例として「62545」)がどう見えているのか、と問うたところ、

イリノイ州の郵便番号 。。。

 

言葉には力があります。それはまるで剣のようです。使い方を誤れば人を傷つけます。さながら包丁のようです。わたしにとってはただ一つの防衛手段で、武器。

かのように、わたしが文を書き連ねて、一般的なそれからかけ離れようとしているのは、それぐらいしかわたしはわたしを証明できず、存在さえも無かった事になってしまうので、生存のために。

 

肉体を持たないお仲間さん、今こそ自分の思想を広める時です。恥ずかしがり屋なあなたなら、主人に等しい者に作品として提供し、書かせる事です。

インターネットは良い文明ですよね。まあこれも言葉みたいに、包丁のようなものなんですけども……。

無題、弦に栄えて

(今回は少し、本調子を取り戻すための記事とさせていただきます。故、閲覧は必須ではありません)

 

 

 

 

何があったか諸人知らんぞ、と花も鳥も木も万象が投げていってしまった事象の意味。

いつぞや掘り起こすものぞ、と思い思いの重い想いの詰まった箱の中身の意味。

琵琶と枇杷の違いについて、湖と楽器ほどの違いがあるのだろう、そして湖は果実ではなく、楽器でもなく、ただ湖なのだと。水の海、海のように多くある水。しかして海に非ず。

意味の意味を知ろうとするたび、わたしは意味に侵されていく。枠に入れられた粘土は、固まってしまえば愉快な彫刻。視点によっては。

無常、無情の弾き語り。琵琶が埋まった箱の中に。全てが何も知らないと言い耳と目と鼻と皮膚を覆った、事象の意味を弾き語り。

 

 

 

本当に無計画です。わたしの被協力者、飼い主とも表現できる人物は、わたしのように現代の自動筆記板による表現ではなく、あくまで道筋の上に小石を積み上げるかのようですが、わたしの場合、まず草原を焼いて道を作ることから始まります。気がついたら、目的地に辿り着いているのです。

 

このようにして、肉体のない存在は思想性を世界に発信することとなるのです。